2012年 6月

王妃マリー・アントワネットにルイ16世が夜会にジャガイモの花を飾って出席させることによってジャガイモに貴族の関心をあつめさせました。これは アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエ(Antoine-Augustin Parmentier)というフランスの農学者が自身のプロイセンでの捕虜時代に知った ジャガイモを広めようとルイ16世に提言したことによります。 しかしながら、国民の間ではとても最初は食用としては他の国々と同じく受け入れられませんでした。これに対して、見張りを夜はわざと誰も付けずに 昼間だけ厳重に衛兵に王が作らせたジャガイモ畑に厳重に警備させるという策略をパルマンティエは国中にジャガイモを広めるためにおこないました。 その結果、ジャガイモを盗みに夜中に畑に入る者が現れ始めました。そこまで厳重に王が守らせるからにはさぞかしうまいものなのだろうと考えた からです。そして、民衆の間にジャガイモは広まって行きました。パルマンティエのもくろみはまんまと成功したわけです。 これをうけて、「パルマンティエ」の名がフランスのジャガイモ料理には付くようになりました。「(Hachis Parmentier)アッシ・パルマンティエ」キャセロ ールというマッシュポテトと牛のひき肉え作る料理が特に有名です。
ジャガイモはドイツ料理にはよく使用されます。プロイセンにおいてドイツではジャガイモが普及しました。痩せて寒冷な土地が多い南ドイツとは違う プロイセンに支配されていたブランデンブルグ地方は食糧難によく悩まされていました。そういう理由から、荒れ地でも栽培できるジャガイモの栽培 をフリードリヒ2世が食料難を克服するための切り札として奨励しました。しかしながら、ジャガイモは人々からヨーロッパのその他の諸国と同様に形が 不格好だという理由から嫌われました。そのため、毎日自らがジャガイモを食べることによってフリードリヒ2世は範を示したといいます。 また、こんなジョークがあります。ドイツのスパイが第二次世界大戦中にフランスに潜伏した際にジャガイモをレストランで潰して食べたためにスパイで あることがばれたというものです。これはジャガイモを潰して食べる習慣(ジャーマンポテト)がドイツにあることから生まれたジョークです。
イングランド貴族がアイルランドを征服した後にジャガイモの栽培を熱心に勧めたことによってアイルランドではジャガイモの栽培が広まったといいます。 アイルランドでジャガイモの栽培が広まったのは収量や栽培の容易さだけではありませんでした。しかし、イングランド人貴族の本心は、自分たちが 収奪する麦の分量が、農民がジャガイモを栽培をしてそれを食べるように仕向ければ増えると見込んでのことでした。理由はどうあれ、ジャガイモが 非常に重要な主食としてアイルランドで定着していきました。このようなことから、ジャガイモ飢饉がヨーロッパに蔓延したジャガイモの疫病の影響で アイルランドに1840年代に起こり、ジャガイモに依存していたアイルランドの人々はこまって、北アメリカに移住していきました。ジョン・F・ケネディ(ア メリカ合衆国第35代大統領)の曾祖父のパトリックがこの移民の中にいたことは有名な話です。
芋という概念がもともとヨーロッパにはジャガイモがもたらされるまでは無かったそうです。そのために、イングランドなどで茎や葉などの有毒な部分を 食用とする旨が書かれた料理本が芋を食べるということが知られるまでは出回っていました。そしてソラニン中毒などをその料理本を真に受けた イングランド人が起こしたこともあるそうです。
最初、色が黒く現在のものよりも小さい見た目の悪かったジャガイモは、南米からヨーロッパに16世紀にもたらされた当初はなかなか受け入れられま せんでした。また、「悪魔の作物」として嫌っていたそうです。その理由は種芋で増えてしかも聖書にのっていないという理由でした。しかし、各国の 王はヨーロッパの各地で17世紀に飢饉が起きた時にジャガイモを寒さに強いという理由で広めようとしました。ジャガイモは収穫量も作付け面積あたり ににおいて大きく、土地がやせていてもよく育ち、気候が寒冷でもヨーロッパで栽培される主要な作物よりも耐えることが出来ました。特に、食文化を 変化させるほど北欧(北ドイツ、アイルランドなどの冷涼で農業に不適とされた地方)ではとても普及しました。飢餓からジャガイモが人間をすくった その人口は計り知れないといわれています。それはアジア地域、日本、北米地域などにも及びます、西洋のみではありません。各国にFAOなどが ジャガイモのいっそうの啓発と普及をジャガイモ栽培8000年を記念する「国際イモ年」として2008年をこれに定めるなどして働きかけています。これは 国連食糧農業機関(FAO)にジャガイモの原産地の1つであるペルーが提案していたものが2005年に認められたものをうけたものです。
煮崩れが煮物にした時に少ないことや貯蔵性に優れていることなどから人気があります。シンプルな卵型の形状が他の品種と比べると目立ちます。 品種登録は日本では2003年2月にされました。世界で最初の品種登録は1996年にされました。ジェルミコパ社というジャガイモの販売育種会社( フランス)によって育成されました。”Cynthia”という仏名を持っています。
日本では加工品の輸入にもっぱら頼っています。日本では収量が環境の違いによって得られず栽培されていないからです。フライドポテトに 向いています、大きさが大きいからです。イモの表面の特徴である「ざらざら」にちなんで「ざらざらした」という意味の”Russet”と命名されました。 1910年頃に「バーバーンク」という種苗家ルーサー・バーバンクが1875年にアメリカで開発したイモの突然変異によって誕生しました。 “Russet Burbank potato”という英名を持っています。
煮崩れしにくく、色は黄白食の肉色をしています。多収の品種で多くのイモが取れます。九州で特に長崎県を中心に多く栽培されています。長崎 にある外国への江戸時代における窓口であった出島にちなんで命名されました。品種登録は1971年(昭和46年)にされました。育成、交配は長崎県 にある、総合農林試験場でされました。
糖度は長期冷蔵貯蔵によってさらに増します。その風味を生かした本格焼酎の原料にも近年ではなっています。おもな産地としては幕別町(北海道 十勝地方)があります。高価なジャガイモです。生産量が少ないからです。人気は生食用として高まってきています。長期の保存には適していません すぐに発芽しやすいからです。他の品種と比べて栽培は難しいです。病害虫に弱いからです。収穫は少ないといいます。食味はクリやサツマイモに 似ていて甘味が強いです。長日状況下の日本で栽培できるように開発した2倍体の品種です。Katahdinというアメリカの品種の半数体と小粒で食 味が良いアンデス産の(S. tuberosumではなく、2倍体のP. phureja)を交配して作られました。黄色みの強い小粒の品種です。種苗登録されたの は2002年です。